15.打ちのめされそうになる時がある。

 『ピジン・クレオル諸語の世界』(西江雅之・著 白水社)を読んでいて、「ことば」と「言語」の違いについて触れている箇所を読み、なんだか、急にフィンランド語を勉強しづらくなる。

「ことば」はまさに人間の口から出るその音声、そして「言語」は、主に文字で記されたもの。(と、ざっくり言えば、だが、西江さんは定義して使う)

ああ、そうか、実際にフィンランドに行ったら、そりゃあ、なんというか、人々が口にしていることばは、紙に記されたものとは全く別なんだよな、と思う。

そこには、状況が反映されないからである。

僕が、例えば、誰か空港にいる知らない人に話しかけるとき、長年の友達に話しかけるとき、とかで、その様相は全く違ってくるはずなのである。

まぁ僕は、これ、もう、フィンランド語が「話せる」というのをいったんやめてみて、「外国人としてフィンランド語が少し使える」と言うふうに意識して思って取り組んだ方がいいだろうな、と思うのである。

でも、ここにも実は僕は歯痒さがあるのだ。

その言語を母語とせず育った僕は、永遠に、その言語を母語とする人とは見えているものが違うのだ、ということに、打ちのめされそうになる時がある。

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