9.「フィンランド語で流れたい」のです。

 やりたいことやったらいいんだよな。

そもそも、なんで俺フィンランド語やってるんだっけ、と今日は少し懐疑的になっていて。

朝はデュオリンゴ、その後時間があれば何かやろう、と思っているのだが、その「何か」 が相変わらず定まらなかった。デュオリンゴとかも、そりゃ楽しいんだけどさ、でもなんか、これやってて楽しいことと、フィンランド語の何が楽しいか、っていうことはなんか違うんじゃないかな、と思った。でも考えてみると、フィンランド語を勉強する「必要」は、別に僕には一切ないのであって、好きなようにやったらいいのである。

で、なんでフィンランド語を好きなんだろう、と思ったら、次の理由であった。

あとなんか、外国語学習ってものまねの延長なので、それぐらいのノリでやらないと全然面白くないんだな

まあこれは 極端に言っているだけなのだけど、でも本質的には間違っていない。

僕はその言語を「それっぽく喋る」ことがとても楽しい。英語にしても、イタリア語にしても、それがすべてである。なので、それっぽく喋るために文法を理解すべきところがあればそれをやるし、練習が必要ならそれをやる、ということでいいんだよね。

自分自身を楽器にしたいんだよ。

もちろん、その言語で本を読むとか、文化に触れる、とか、やったら楽しいことはいっぱいあるんだけど、何か、「その言語で流れを感じたい」ということがいつでも念頭にある。

やっぱり楽器と一緒だね。

まぁ、地味な練習の末に、「流れ」を感じられる、ということは間違いなくある。自分が演奏するのであれば、やっぱり、基礎練習は欠かせないし、細やかなところが「合っている」からこそ、それによって紡ぎ出される全体が、滑らかで心地よいものになる。

ので、まずは受動的にフロウをたくさん摂取して、「ああ、こんなの、いいな」という気持ちを醸成して(楽器で言えば、たくさん音楽を鑑賞することに似ている)その上で、真似したり、地味な練習をしたり、とにかくいろんなことをランダムに組み合わせて、日々、たやさずに行っていくしかないよね。

※※※

文法書を地道になぞってやる、というのが僕は苦手だ、というのが、根底のテーゼとしてある。だって、つまんないんだもん。つまんないことって、集中できないのである。どうせ時間をかけるのなら、何か、集中できることをやりたいよね。というわけで、上記のようなことを考えたのでした。「フィンランド語で流れたい」のです。別にフィンランド語でお金稼ぎたいとか全然思ってない。

それでいうと、余談だけど、英語も、やっぱりもっと上級な「流れかた」をしたいねー。



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